東京地方裁判所 昭和37年(特わ)428号 判決 1965年1月23日
主文
被告人らはいずれも無罪。
理由
被告人らに対する本件公訴事実は
被告人らは、いずれも、所轄警察署長の許可を受けないのに、昭和三七年五月四日午前八時頃から同八時三五分頃までの間、東京都千代田区有楽町二丁目一三番地国鉄京浜線有楽町駅中央日比谷口前の交通のひんぱんな道路において、日本共産党千代田区委員会野坂、岩間事務所発行の「全国遊説第一声国会報告大演説会」と題する印刷物及び「戦争準備をいそぐアメリカの核実験をただちに中止せよ」と題する印刷物をそれぞれ通行人に交付したものである。
というのであつて、これに対する適条として、検察官は、道路交通法第七七条第一項第四号、第一一九条第一項第一二号、東京都道路交通規則第一四条第八号を挙げている。
<証拠―省略>を綜合すると、被告人らが、それぞれ、右日時場所において、通行人に対し右題名の印刷物を交付したこと、被告人らがいずれも右交付行為につき事前に所轄警察署長の許可を受けていないことが認められ、更に、当該場所は、国電有楽町駅中央日比谷口前とそごう百貨店との間の歩車道の区別のない幅員一一・三米の道路であつて、右日時当時における交通の状況は、同駅に電車が停車する都度降車した相当数の通勤者が日比谷方面に向つて同道路を横断して通行し去り、次の電車が到着するまでの数分は人の交通が閑散になるという状態が繰返されるほか、通勤者以外の一般歩行者及び自動車の交通は極めて少ない状況であり、また、右中央日比谷口は、同駅の主要出入口ではないので、通常国電主要駅の出入口付近にみられるような乗降者による混雑は全くみられないことが認められるが、その交通の状況を総合し他の一般道路との比較において観察すると、同所は、社会通念上いわゆる「交通のひんぱんな道路」に該当するというべきであつて、一応右公訴にかかる外形事実を認定し得るということができ、それは一見東京都道路交通規則第一四条第八号に掲げる行為に該当するかのようである。
そこで、以下、右認定した諸事実を前提として、被告人らの本件各所為が罪となるか否かを検討する。
道路交通法(以下単に法という)第七七条第一項は「次の各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について、当該行為に係る場所を管轄する警察署長の許可を受けなければならない。」として、その一号ないし三号にそれぞれ許可を要する諸行為を掲げるほか、四号において「前各号に掲げるものほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーシヨンをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとする者」と定め、東京都道路交通規則(以下単に規則という)第一四条は、同法の右委任に基き「法第七七条第一項第四号の規定により、署長の許可を受けなければならない行為を、次の各号のとおり定める。(中略)八、交通のひんぱんな道路において(中略)物を(中略)交付すること。」と規定しているのであるが、右規則には文言上「物の交付」について何らの限定がないので、一見物の交付行為のすべてについてあらかじめ管轄警察署長の許可を受けることを必要としているようにみられる。
しかしながら、法第七七条第一項第四号の右規定の内容に徴して明らかなように、法は、公安委員会において、道路または交通の状況によつて、危険の防止、交通の安全または円滑のため必要と認めるものをすべて要許可事項として規制し得るとしたのではなく、さらに当該行為が、社会通念上一般的にみて、祭礼行事のように、その行為自体において一般交通に著しい影響を及ぼすような性質内容をもつ類型のものであるか、またはロケーシヨンのように、道路に人が集まる状態を招いて一般交通に著しい影響を及ぼすような性質内容をもつ類型のもの、換言すれば、行為の性質上、一般交通に著しい影響を及ぼすことが通常予測し得られる行為類型に属すると認められるもので、それが祭礼行事やロケーシヨン、更には法第七七条第一項第一号ないし第三号に規定する行為に匹敵するものにその範囲を限定して委任したものであることが明らかなのであるから、そもそも、公安委員会が右委任に基づいて規則に定めるべき要許可事項に、右類型に該当しないものまでをも含ましめることは、右委任の範囲を超えるものとして許されないというべきである。ところで、規則に掲げる他の要許可事項、例えば街頭演説においては、道路に人寄せすることによる混雑、また印刷物等の散布においては、それを拾おうとする人のむらがることによる混雑によつて一般交通に著しい影響を及ぼすことが定型的に明らかに考えられるのに反し、「物の交付」ということの概念は、甚だ包括的であつて、それ自体からは定型的に一般交通に対する影響の程度を判然と考えることが困難であつて、それが多数集団によつてなされる等の場合においてはあるいは一般交通に著しい影響を及ぼすとみられる場合があるとしても、その態様、方法のいかんを問わず、すべて一般交通に著しい影響を及ぼす性質内容をもつているということはできない。そこで、右にいう「物の交付には、例えば、通行人間の単純な物品の授受行為まで含ませている趣旨でないことは明らかであるが、更に、法の委任の趣旨に照して、規則にいう「物の交付」とは、それに限定を加え、社会通念上一般に、その態様、方法からみて、法の掲げている前示要件(類型)を充しているものと認められる範囲内の物の交付行為をいうのであつて、右の類型に当らない行為までをも含ましめているものではないというべきであり、従つて、規則の右条項部分は、これを「交通のひんぱんな道路において」、「一般交通に著しい影響を及ぼすような形態若しくは方法により物を交付すること」というように態様上の限定を加えて解すべきものである。
次に、しからば、右規則にいう「物の交付」には、本件のような印刷物の交付行為を含むとすべきであるか否かについてみると、この点について、弁護人らは、言論の表現を内容とする印刷物の配布について、事前許可を要するとするのは、憲法で保障する表現の自由に対する重大な侵害となつて許されないところであり、従つて右規則を合憲、適法というためには、規則にいう「物の交付」には右のような印刷物の配布行為は含まれていないものと解するほかはなく、もし、規則が右のような印刷物の配布行為までも規制したものであるというのであれば、規則の当該規定部分は違憲、違法であつて無効というべきであると主張する。憲法第二一条の保障する言論の自由が基本的人権として尊重さるべきであることはいうまでもないところであるが、しかしそれとても、絶対無条件に保障したものではなく、公共の福祉のため必要があるときは、合理的な制限をなし得るものであることは、他の種類の基本的人権と異なることはないというべきである(街頭演説の許可制についての最高裁判所昭和二五年三月三日第一小法廷判決、刑事判例集第一四巻第三号二五三頁参照)。そして、道路上において印刷物を交付する行為は、その態様、方法のいかんによつては、道路交通上の危険を生じさせ、公共の安生を害する虞れがないとはいい難いのであるから、規則が、社会通念上一般交通に著しい影響を及ぼすとみられる態様、方法による印刷物の配布行為について、法の規定する手続内容により管轄警察署長の事前許可を受けしめるべき規制を加えたとしても、それが憲法第二一条に違反するものであるとはいえない。もつとも、それを解釈するに当つては、憲法の保障する言論の自由等の基本的人権を尊重し、これと正当な限界と調和を得しめるように考慮すべきであることはいうまでもないところであるけれども、右主張の立論から規則にいう「物の交付」に言論の表現を内容とする印刷物の配布行為の一切を含まし得べきでないとする見解には到底賛同することはできないのであり、その態様、方法のいかんによつては、規則によつて事前許可を要すべき場合があるとするのは当然のことであつて、法の委任により規則の定めているその内容も右の趣旨であるというべきである。ところで、規則にいう「物の交付」を前述したような限定を付して解釈すべきであることを前提とすると、一人または小数のものが、人の通行の状況に応じその妨害を避けるためいつでも移動し得る状態において、通行人に印刷物を交付する行為のようなものは、その態様、方法において、社会通念上一般に、一般交通に著しい影響を及ぼす行為類型に該当するものとはいい難いところである。なんとなれば、勿論、右のような交付態様、方法のものであつても、例えば、印刷物の授受に当つて、これを受取ろうとする通行人が歩行を止め、或はその歩行を乱すことがあつたり、また歩車道の区別のない道路においてなされた場合においては、印刷物を受取ることのため通行人が一時自動車等に対する注意を奪われることがあるなど、一般交通に或る程度の影響を及ぼすことは容易に推認できるのであるが、通常において、右のような交付行為の交通に対する影響の程度は、法の例示する祭礼行事やロケーシヨン、更に法第七七条第一項第一号ないし第三号に掲げる行為に匹敵するものではなく、これを許可事項として事前抑制の必要を生ぜしめる程、一般交通に著しい影響を及ぼすものとみることはできない。
もつとも、本件のような印刷物の交付行為一般が、それ自体としては必ずしも前示行為類型に該らないとしても、それが「交通のひんぱんな道路」においてなされることにより、一般交通に対し妨害となる虞れもあるとみて、これを規制の対象となし得るのではないかとの疑いがないわけではなく、規則が、「交通のひんぱんな道路において」と規定しているのは、交通のひんぱんなことを特に交付行為に関連させこれを綜合して、交通に著しい影響を及ぼすべきものとしているとみられないでもないが、そうであるとすれば、それは、法がその委任内容として、一般的に前示行為類型に該るべきことを要件として規定した趣旨を没却すべきことになり、公安委員会は、法第七七条第一項第四号後段の「その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めるもの」に該当しさえすれば、いかなる事項をも許可の対象として規制し得るという不当な結果を招くことになるのである。のみならず、「交通のひんぱんな道路」という文言を人及び車馬の雑踏する、或いはそれに近い交通のひんぱん度の高い道路というように解するのであればともかく、交通のひんぱんな道路であるというものの、通常の、云いかえれば本件において認定した程度の交通の状況にある道路を含むものと解する限りは、法の前示行為類型に該らないとして挙げた右態様、方法による印刷物の交付行為は、やはり、一般交通に著しい影響を及ぼす行為類型に該るものとはいい難い(なお、前掲証拠によると、本件交付行為によつて、格別交通の妨害をきたしたという形跡は認められない)。
以上の説示を前提とすれば、被告人らの本件印刷物の交付行為は、その態様、方法に照らし一般交通に著しい影響を及ぼす程度の類型に該る行為とは言い難く、結局前記法規による要許可事項に該当するものではないというべきである。従つて、被告人らの本件所為は、いずれも罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条により被告人らに対し無罪の言渡をすべきものである。
よつて、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官石渡吉夫 裁判官川名秀雄 柿沼久)